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ドッジボールは危険なだけ?コロナ禍で訪れたスポーツ見直しの好機 - ASCII.jp

今していい遊び、していいスポーツについて、周囲の大人たちは子どもたちのためにも真剣に考えなくてはならない Photo:PIXTA

改めて気づかされた
球技の感染危険度

 4月23日の朝、テレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』に、コメンテーターで女優の高木美保さんがリモート出演し、こう発言していた。

「ドッジボールをやっている子どもたちを見かけるんです。ドッジボールって子どもたちがワーワー騒ぎながら、顔も触りながら、ボールひとつを共有している。これは感染拡大につながってしまう遊びにならないかなと不安を感じました」

 一瞬、頭の中が混乱した。スポーツを完全否定されたように感じ、それに対する無意識の抵抗だったように思う。普段から私はスポーツ界に批判的な立場で発言する機会も多いが、『スポーツ』そのものは愛している。その根幹を否定されたような発言を耳にすると、やはり瞬間的に身構えるのだろう。

 しかし、謙虚に反芻(はんすう)してみれば、高木美保さんの直感は的を射ている。もし子どもたちが投げ合っているボールに新型コロナウイルスが付着していたら、触れた子どもは次々に感染する危険があるのではないか。

 そう考えると、ドッジボールだけでなく、野球もバレーボールもバスケットボールも、球技はほとんど該当するではないか。いずれもひとつのボールを共有し、渡し合い、奪い合う競技だ。今、この状況下では危険そのものだ。

 球技だけではない。東京オリンピックで金メダルが期待されている陸上男子400メートルリレーも同様だ。ひとつのバトンを4人でつなぐ。大会スタッフも含めて、もし感染者がそのバトンを手にしたなら、新型コロナウイルスをリレーするという笑えない事態になりかねない。

 相撲、柔道、レスリングなどの格闘技は直接的に体がぶつかり合うから、かねて危険が指摘されていたが、高木さんの指摘で、身体接触のない競技でも道具を媒介したウイルスの感染もあり得ることに改めて気づかされた。格闘技だけでなく、スポーツの大半が危険をはらんだ接触過多の行為だと認めざるをえない。

競技団体がコロナ禍で
求められていることとは

 私たちが「スポーツの素晴らしさ」だと思い込んできたこと、例えば「一つのボールを追いかける」「体をぶつけ合う」といった魅力の前提や根幹まで、今は厳しく問い直さねばならない事態に直面しているのだ。

 もしこんな指摘をスポーツ選手や指導者たちにしたら、「スポーツをするなってことですか!」と激しく反論されそうだ。スポーツ人たちは、私が高木さんのコメントを聞いた瞬間そうだったように、無意識に抵抗するだろう。「スポーツが悪だ」などと認めたくはない。熱心なファンだって同じかもしれない。野球関係者やファンに、「ひとつのボールを共有するのがダメなんです」と警告すれば、「それじゃ野球にならない」「そこまで言うか!」と怒鳴られそうだ。しかし、徹底して新型コロナウイルス予防を考慮すれば、それが現実だ。今は一つのボールを共有し、体をぶつけ合う行為は明らかに「危険」で「避けるべき行為」だ。

 子どもたちにはかわいそうだが、いま「していい遊び」「避けるべき遊び」を自分たちで判断する力を付けさせることも大人の大切な役割ではないだろうか。

「やめる」という判断もあるだろうし、「こうすればやっていい」という前向きな選択肢もあるはずだ。例えば、公園に出かけるときは、マスク着用とともに、アルコール消毒のできるスプレーや除菌シートを携帯することを全員のマナーにする。みんなで共有する道具はなるべく持ち込まない。道具を使う遊びは避けるなどだ。

 本来なら、スポーツ庁や日本スポーツ協会、日本レクリエーション協会あたりが、こうした子どもたちの遊びのマナーや指針をもっと積極的に提示すべきだろう。

 しかし、日本レクリエーション協会のホームページを確認すると、トップページに『全国一斉「あそびの日」キャンペーン 2020期間変更のお知らせ』のタイトルで、4月から6月に予定していたキャンペーンの延期を伝えている。それ以外に、新型コロナウイルスにどう対応すればいいかの助言や情報などは見当たらない。

 これは同協会に限ったことではないが、どの協会も日常の活動の質的向上や危機管理への対応ではなく、もっぱら「イベントの企画運営」が主要業務になっている。そういう、本来果たすべき役割を見失っている実態が、今回の新型コロナウイルスのまん延によって露呈した感がある。

 日本高校野球連盟も同様だ。ホームページを確認すると、いまだトップに上がっているのは、3月11日にセンバツ大会の『開催中止が決まった』というニュースだ。それ以降は、トピックス欄に「春季大会は全地区で中止になりました」とあるだけだ。これを見ても、高野連が春と夏の甲子園を中心に大会運営をするだけの組織なのかと思われても仕方がない。

 野球ができない状況で、野球の楽しみ方や練習の仕方を一緒に考えること、考えるための情報を提供することは重要な役割のように思うが、そのような使命も責任も日本高野連は放棄しているのだ。ドッジボールの例から気付かされる通り、新型コロナウイルス感染予防の観点から見れば、野球も「ひとつのボールを共有する危険なスポーツ」だ。そのような気付きや情報を日本高野連が提供することも、重要な責務ではないか。

 実は現在も寮生活をし、練習を続けている高校野球部があると伝えられている。一つのボールを共有する危険を周知すれば、もはや練習の継続が現状の社会に対してどれだけ背く行為か、「理屈抜き」で判断できるのではないだろうか。

スポーツの役割は大きくなる
新たな良識とマナーの考案を

 私は、2020東京オリンピックの中止を議論すべきだと提言している。他にも、プロ野球の開幕やJリーグの再開、夏の甲子園(高校野球)など、あらゆるスポーツの再開や可否が議論され、注視されている。単に、観客への感染の懸念、スタジアム内での感染予防などがこれまで議論されてきた。それだけでなく、競技そのものに感染の要因があると気付けば、再開論議は大幅に後退せざるをえないだろう。

 外出自粛が長期化し、室内で過ごす生活が続けば続くほど、人々にとってスポーツは応援する楽しみや興奮を味わえる貴重なコンテンツとしてだけでなく、一人一人が健康や活力を増進する大切な日常習慣としての役割が大きくなってくるはずだ。今後、少しずつ再開できる状況になるだろうし、筆者としても早くそうなってほしいと願っている。新型コロナウイルスは一度終息しても、まん延は繰り返されるといわれる。スポーツに関するさまざまなイベントが再開されたとき、各競技団体は従来とは違う、新しいスポーツの良識やマナーを工夫し、発信する努力が求められる。

 社会に新しい良識やマナーが浸透するまでには、段階に応じて対策が必要だ。まずはスポーツ人たちが謙虚に新型コロナウイルスの危険性を直視した上で、改善の状況に応じた新たな予防策、新たなマナーを作るべきだ。そうすれば、スポーツのスムーズな再開がかなうだろう。

 高木美保さんの素直な直感、的を射た指摘に感謝したい。スポーツの指導者、関係者、選手、すべてのスポーツ人たちが、この指摘を謙虚に受け止め、真剣に新しい発想に転換し対応することを心から期待する。

(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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May 05, 2020 at 04:00AM
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