久々に現場取材に戻り、これまた十数年ぶりにテレビ局幹部の定例会見を取材した。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会見への参加者は記者も含めて、全員マスク着用が義務づけられている。さらに、記者が座る机も余裕をもって配置され、記者も2メートルは離される。そのため、席数には限りがあり、仕方なく、会見に出席できるのは1社1人だ。

よくテレビに映る会見場といえば、首相官邸で行われる内閣記者会主催の会見だろう。いつもは、菅官房長官が1日2回、記者の取材に応じる。ときには、安倍首相の会見も。記者の質問がまだあるのに、会見を打ち切ったことが非難されたことも記憶に新しい。

その会見映像を見てわかるのだが、ほとんどの記者はノートにメモをするのではなく、パソコンに打ち込んでいる。学生時代から、教師の板書や発言をノートにメモしてきた世代からすると、いきなりパソコンというのは、なかなか慣れない。だから、ついて行けないなあ、という劣等感にさいなまれている。

とはいえ、会見というのは、その発言者の表情をチェックするのも仕事だと思う。笑顔なのか怒りの表情なのか、もしくは苦虫をかみつぶした形相なのかで、発言のニュアンスも違ってくる。なのに、なぜパソコンに打ち込むのを優先させるのかというと、締め切り時間に余裕のある新聞ではなく、ネットや配信のための記事を書くためだ。

前任者に聞くと、この記事出稿の速さを競うために、質問を避ける記者もいるのだとか。意地悪な言い方にはなるが、質問した記者の答えを、質問していない記者が真っ先に原稿を書いているのが現状だ。

芸能の取材現場でも、そんな光景は多々あった。まったく質問せず、別の記者が質問した内容を、ひたすらメモり録音し、記事を量産させる記者も多い。別に法令に違反しているわけではないのだが、取材する側のモラルとしてはいかがなものかと思う。

おっさん記者が、昔を懐かしがり、うっとうしいことを言っているんだと思う方もいると思う。たしかに、先の首相の会見でも事前の質問通告などが暴露され、会見自体の形骸化も指摘された。取材される側とする側の緊迫したやりとりそのものが、もはや存在しないのかもしれない。

もっとも、冒頭のテレビ局の会見では、当該人物が、ひたすら、部下が用意した資料を棒読みしていたことにも驚いた。そのペーパーを会見時にもらえれば、コピペして、すぐに原稿を量産できるのになあと、不届きにも思ったことは言うまでもない。