1960年代を代表する国産スポーツカー
「日産フェアレディZ」の前身といえば、オープンスポーツの「ダットサン・フェアレディ」。さらにそのルーツをたどると、1952年に登場した、日本で初めて「スポーツ」を名乗った「ダットサン・スポーツDC-3」に行き着く。そこからFRPボディーを持つ「ダットサン・スポーツ」(型式名S211)や最初に「フェアレデー」(という表記だった)の名を冠した輸出専用車のSPL212などが存在するのだが、ここでは1961年秋の東京モーターショーでデビューした「ダットサン・フェアレディ1500」(SP310)から話を始めよう。
なぜならこのSP310こそが、わが国初の本格的な市販量産スポーツカーであるからだ。そして「フェアレディ1600」(SP311)および「フェアレディ2000」(SR311)へと発展していき、1960年代を代表する国産スポーツカーの一台となった。同時に黎明(れいめい)期のモータースポーツでも大活躍。SP/SR抜きに60年代の国内レースは語れないと言っても過言ではないほど、その育成と普及に貢献したのである。
東京モーターショーでのお披露目から約1年後の1962年10月に発売されたSP310。横向きのサードシートを持つ3座のオープンボディーを載せたシャシーは、初代「ブルーバード」(310)用のラダーフレームを補強したもので、サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン/コイルの独立式、リアはリーフの固定軸式だった。エンジンは初代「セドリック」(30)用の1.5リッター直4 OHVのG型で、キャブレターをダウンドラフトからSUに換えるなどしていたが、最高出力71PS/5000rpm、最大トルク11.5kgf・m/3200rpm(グロス値、以下すべて)というデータはセドリックと同じ。全体的には英国の「MGA」などに通じるコンベンショナルな設計で、やはりセドリック用をフロアシフトに改めた4段MTを介しての性能は最高速150km/h、0-400mのタイムが20.2秒と公表された。
翌1963年5月、日本初の舗装された常設レーシングコースである鈴鹿サーキットで、戦後初の本格的なスピードイベントである第1回日本グランプリが開催された。「国内スポーツカー 1300~2500ccレース」に出場したSP310は、「MGB」や「トライアンフTR4」などの輸入車勢を抑えて見事に優勝。優勝車両は輸出仕様のSUツインキャブを備えていたが、レース後に規定違反ではないかとの抗議が他のドライバーから出され、物議を醸した。
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October 14, 2020 at 04:00AM
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