日本において「スポーツ」という言葉は、その定義が疑われることがは少なかったと思う。
スポーツが日本に入ってきたのは明治時代初期。
当時、 日本は戊辰戦争を終えた時期で、欧米の強国と肩を並べるために軍力を強めることに必死だった。
そのため、「身体を鍛える、競わせる」ことを目的とし、明治時代の人材教育の柱として「体育」が掲げられたわけだが、「スポーツ」はこの時代に輸入されてきた言葉であり、今日まで「体育」とほぼ同義に扱われてきた。
つまり、「競いながら体を鍛えるもの」がスポーツであるという一定の共通認識が日本人にはある。
「学生時代スポーツやってた?」
に対する回答は、「体育の授業でね」か「〇〇部」だったよーである。
これは日本人として普通の感覚だ。
しかし、今日あることをきっかけに、「スポーツってなんだっけ?」という疑問が浮上して生きている。
そのきっかけはeスポーツだ。
eスポーツは、世界的にみて最も成長率の高いスポーツと言われている。
一方で、eスポーツは現時点でオリンピック競技としては正式に認められていない。2018年5月には日本オリンピック委員会(JOC)理事が「eスポーツはスポーツと認めるべきでない」との見解を示している。
その時の発言は下記。
スポーツは体を鍛え、健康を促進するべきもので、ゲームは健康を損なう恐れがある。世界保健機関(WHO)もネットゲームへの依存を病気と定義しているため、スポーツとして正式に認めるべきではない。
やはり、日本において「スポーツは体を鍛えるもの」なのだ。
ちなみに同年、国際オリンピック協会(IOC)も同じく「(e-Sportsはオリンピックの価値観に矛盾しており受け入れることはできません」と発表している。
しかし、その拒絶理由は下記で、日本とは全く違う。
我々はオリンピックのプログラムに暴力や差別を助長する競技が入ることはありえません
むしろ2020年4月には、IOCバッハ会長がeスポーツに前向きな発言をしている。「体を鍛える」という部分については、世界で最も大きいスポーツイベントの一つであるオリンピックですら、実はあまり気にしていない。
では、「体を鍛える」という意義をそぎ落とした場合、根源的なスポーツの意味はなんなのだろうか?
解釈によって正解は異なると思うが、その語源が最も拠り所になる。
スポーツの語源は「deportare(デポルターレ)」である。
deportareは「別の場所へ運ぶ」を意味するラテン語で、そこから転じて、精神的な次元の移動、つまり「日々の生活から離れる」とか「気分転換」といった意味も持つ。
ちなみに、スポーツ庁が運営するWeb広報マガジンのタイトルも「deportare」だ。
そう、スポーツの本来の定義は、「体育」とか「体を鍛える」とかストイックな要素も含むものの、もっと楽しく、気楽で、包容力がある。
近代スポーツの本家とも言われるイギリスでは、スポーツという言葉には「気晴らし、狩猟、闘争、冗談、あるいは植物の突然変異」など多くの意味合いがあるという。
これも語源が、「別の場所へ運ぶ」、転じて「気分転換」といった意味があることを知っていれば違和感がないだろう。
また、スポーツという言葉がさす範囲は、「する」ことに限らない。
スポーツ庁の定義では、「みる」「ささえる」もスポーツに含まれる。
スポーツには、観戦を通じて「みる」、運営等で「ささえる」という、多様な方法がある。
日本で「スポーツビジネス」というと、すごくマッチョで体育会なイメージがあり、なんか重苦しく感じる人もいるかもしれない。それは歴史的に仕方がないことだ。
でも、スポーツは、僕たちの日常のありとあらゆるところに存在していて、僕たちの「気を晴らす」ものだ。
当然、「気晴らし」を無理にスポーツと呼ぶ必要もない。
「気晴らし」をもっと世の中に広げたい、と思ったときに国策になっているスポーツ産業のノウハウをうまく生かせばよい。
スポーツは誰も縛らない。
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July 04, 2020 at 09:13AM
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