ささやかなやりとりから始めたい。
「忘れられないのは、やっぱ、あれだなぁ。底力。あれ聞いたとき、わーっと涙出たもんな……」
すぐそばには鉄骨だけを残した防災庁舎が聳え立っていて、その周りにはまだ水が溜まっていた。港の出島に鎮座する荒島神社の鳥居が根元からなぎ倒されていて痛々しい。
それでも(「ホヤを食べるとなぜ水が甘くなるか」という話で盛り上がった後だったからだろうか)、ややストレートすぎるかなと口にした質問に、仮設店舗のおばちゃんは正直で饒舌だった。
「……わーっと涙出て。それで涙と一緒に力も出たもんな。あの時分、絆とか日本は一つだとか言われてたけど、正直何だかあんまり……だったんだけど、あれ聞いたとき、『やらねば』と思ったもんな。底力。いい言葉だよなぁ。あの兄ちゃんもかっこよかったなぁ」
リアス式海岸の漁業の町は、ようやく整地が終わり、これからかさ上げが始まるという頃だった。
9度目の「3月11日」が来た。
寒さと不安に震えた夜から始まった日々は、やがて悲しみとやるせなさに、そればかりか義憤や怒りに、時には諦めや絶望まで含めて、「9年」と一言でまとめてしまうのが憚られるほど、あらゆる感情に震え続けた日々の積み重ねだったと思う。
「見せましょう、野球の底力を」
そんなささくれだった心にスポーツは何ができたのだろうか、と考えるときに思い出すのが、南三陸のおばちゃんの「涙と力が一緒に出た」という話だ。
震災から1カ月後だったから、まだ不安と悲しみの真っ只中にいたはずだ。そんな彼女の心に、嶋基宏選手会長のまっすぐな言葉が響いた。
「見せましょう、野球の底力を」「東北の底力を」
そして力が漲った。奮い立ったのである。
しかもスピーチだけでは終わらなかった。
「おー、あのときも泣いた、泣いた。けど、あのときは嬉し涙だ」
震災から3シーズン目、嶋選手会長と東北楽天ゴールデンイーグルスは、パリーグを制し、日本シリーズまで勝って、チャンピオンフラッグを東北の空にたなびかせたのである。

球団創設9年目での日本一。それもオリックスと近鉄の合併に端を発した球団再編の嵐の末に、紆余曲折を経て仙台に誕生した球団が(それどころか分配ドラフトと自由獲得選手で編成され、2年連続最下位だったチームが)もたらした歓喜は、まさしく「野球の底力」の賜物だった。
そして、あの夜、スタンドで突き上げられた無数の拳と、球場の外で握り締められた無数の両手。その硬さは「東北の底力」と確かにつながって見えた。
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March 11, 2020 at 06:00AM
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3.11と東北スポーツの9年。楽天に釜石ラグビー、J3八戸、いわきFC。(川端康生) - Number Web
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